昔の日本といえば、侍です。日本には様々な剣豪がいました。小説や映画などにおいては、現代に至るまで数え切れない量の侍関連作品が作られ続けています。
最強の人物が誰なのかは、正直言ってわかりません。武士という身分があった時代はとても長いので、有名な侍たちも活躍した時代がそれぞれ違います。
この記事ではランキング形式で紹介するという都合上順位をつけてはいますが、あくまでも人気など色々なことを考慮した結果ということで、挙がっていなかったり順位が低めだったりする侍のファンの方はご了承ください。
それでは、強い侍ランキングを発表します。
最強武将ランキング
第6位 徳川家康
天下を取った武将にしては順位が低くなってしまっていますが、まずは徳川家康がランクインです。
天下を取るという偉業を成し遂げたため、武将としての実力はトップクラスと考えてもいい徳川家康。
様々な戦国大名の元を渡り歩き、最終的に石田三成たちを破って天下を統一したという点は素晴らしいのですが、本人が敵を倒していくというよりは指揮がうまいイメージがあります。
また関ヶ原の戦いには、時系列の関係があるため当たり前ではありますが、人気のある戦国武将たちがほとんど参加していないという点が引っかかります。
ここに織田信長や武田信玄などの人気キャラクターたちが参戦していた場合はどうなったかわかりません。
そして、家康の前に一度豊臣秀吉が天下統一を果たしています。
また、大坂の陣や関ヶ原の戦いという家康が参加した戦いの発端が裏の理由はどうあれ言いがかりに見えることもマイナスなイメージがあります。
そのため、「強い侍」という表現には少し違和感を感じる方も多いのではないでしょうか。しかし、何にせよ強い人物だったことは間違いありません。
第5位 楠木正成
「悪党」と呼ばれた楠木正成。言葉通りの意味ではなく、鎌倉幕府と対立した関係でこのように呼ばれていました。
特に明治から戦時中にかけては、後醍醐天皇の元で戦っていたことから尊皇思想を説く際によく引き合いに出された人物です。
最終的には破れてしまいましたが、強い侍であることは間違いないでしょう。
第4位 武田信玄
武田信玄はどちらかというと戦以上に国を治めるために奔走した戦国武将というイメージがあります。しかし、そのことが彼の強さを際立たせているとも言えます。
最終的には病気で死んでしまった武田信玄ですが、敵に敗れたわけではないのでこの点も強さに拍車をかけています。
兵を動かすことの大事さを家臣たちに説いた逸話など、非常に無精としても強さを感じさせますので4位です。
第3位 伊達政宗
まずはその眼帯をつけ鎧に身を包んだ姿が、強さを感じさせます。彼は病気で幼少期に右目を失明しているのですが、その結果つけられた「独眼竜」という通称は戦国大名たちの中でもトップクラスの強そうなネーミングです。
ゲームやアニメなどでも人気があり、様々な作品に登場して人気を博しています。
最終的に仙台藩の藩主として生涯を終えた伊達政宗。仙台には像が建てられています。
戦での活躍だけでなく、料理を嗜んだという意外な一面も魅力的です。文句なしに強い武士であるため、このランキングでは彼を3位としました。
第2位 宮本武蔵
二刀流の剣豪である宮本武蔵。度々映画化されるなど、人気が非常に高い人物です。
ところで、宮本武蔵といえば佐々木小次郎との巌流島での戦いが挙げられますが、それ以外についてあまりよく知らないという方も多いのではないでしょうか。
実際のところ、彼についてはあまりよくわかっていないことが多いのです。巌流島で戦ったという出来事自体も試合の前後ははっきりしないことが多く、そもそも佐々木小次郎が何者なのかも実ははっきりしていません。
武蔵が強かったことは様々な試合に勝利したという記録があるため誰も異論はないでしょう。しかし一番有名な彼の決闘相手である佐々木小次郎が何者なのかわからない以上、どうにも決め手に欠けるため2位とさせていただきました。
しかし、二刀流という独自の剣術は何といっても見た目のインパクトがあります。そのイメージから、強いと考える人は多いのではないでしょうか。
第1位 織田信長
織田信長は、戦国武将の中でも特に人気があり、そして強いイメージがありますよね。
まず残されている当時の絵の顔が秀吉や家康に較べると格好いいということ。そして若者時代に「尾張の大うつけ」と呼ばれていたというツッパリ的な側面、比叡山を焼き討ちにしたりと容赦のない恐さなどを総合して考えると、最強の侍と考えられます。
最終的に本能寺の変で死亡してしまった信長ですが、真っ向勝負ではなく不意を突かれてしまったが故の敗北であるためにけっしてマイナスなイメージにつながっていないことも強いと考えられることが多い理由でしょう。