漫画が好きな人で、手塚治虫の作品を読んだことがない人はあまりいないでしょう。
学校にも、火の鳥やブラック・ジャックなどは置いてありますよね。
しかし手塚治虫は天才!すごい!と言う話は聞いていて、実際に作品を面白いとは感じていても、具体的にどこがすごいのかはっきりとわからない方もいますよね。
そこでこの記事では、手塚治虫が天才だと言われる理由をいくつか解説します。
手塚治虫について知りたい方は、ご覧ください。
あまりその偉業を知らなかった方は、とても驚くことでしょう。
目次
日本で初めて、自分で30分のテレビアニメを作った
手塚治虫の偉業としてまず挙げられるのは、日本で初めて30分のテレビアニメを作ったことでしょう。
日本では今もたくさんのアニメが毎週30分で放送されていますが、その元祖が手塚治虫の鉄腕アトムです。
日本ではこれより前から映画で長編アニメ自体はたくさん作られていましたし、テレビアニメ自体も色々ありましたが、30分もあるテレビアニメを毎週放送したのは鉄腕アトムが最初です。
毎週放送するためにそれまでの日本アニメのような高クオリティでなめらかにキャラクターが動く作品は厳しいため、リミテッドアニメーションというセル画を減らして必要最低限のセル枚数で動いているように見せる手法を採用したのも手塚治虫です。
手塚治虫のおかげで今のアニメが成り立っているため、これは天才的なことでしょう。
漫画の基礎を造り、映画的な手法をたくさん用いることで日本の漫画を大きく変えた
手塚治虫は漫画の神様と呼ばれる人物ですが、手塚治虫以前にも漫画はたくさんあります。
のらくろやタコの八ちゃん等が有名ですね。
しかし日本の漫画は、手塚治虫以前だと平面的なものが多く、コマ割りもとてもシンプルで均一なものが多かったのです。
手塚治虫はコマ割りを変え、さらにコマの中のキャラクターの構図を立体的にし、映画のように構成しました。
これにより日本の漫画はとても映画的で迫力のある物になり、より面白くなったのです。
現在の漫画も、手塚治虫がいなければ成り立っていません。
ほとんど寝ずに漫画を描いていた
漫画家と言えば徹夜してひたすら漫画を描き締め切りから逃げる光景が浮かびますが、手塚治虫もまたそんな漫画家人生を送っていました。
ほとんど寝ずに漫画を描いていて、寝ていたのはせいぜい3~4時間だったと言われています。
漫画の手を抜くことはなく、とにかくクオリティを高めることに意欲がある人だったため、締め切り直前になってから全部描き直してしまうなど、編集者はなかなかに心安まらない生活を送っていたようです。
伝説の人扱いになってからもドンドン時代に合わせて新しい作品を作った
ここまででも十分にすごいですが、手塚治虫のすごいところはまだまだあります。
例えば、手塚治虫は一世を風靡しましたが、その後色々な漫画家が登場し、時代も流れていくことで、過去の伝説として昔の人のようになってしまいます。
しかしそこで己の道を貫いてそのまま忘れられることを手塚治虫は良しとしません。
時代の流れに合わせて、様々な作品を作り上げていったのです。
例えば24時間テレビでアニメ化もされたプライム・ローズは1980年代に作られた作品で、当時人気があった美少女系のアニメに影響を受け、主人公がビキニのような鎧を着けた幼めの少女でした。
病に伏せてもなお漫画を普通に連載していた
手塚治虫は胃がんで亡くなっていますが、病に伏せている状況でもなんと漫画を描いていました。
しかも普通に連載をしていたと言うから驚きです。
遺作は『ネオ・ファウスト』、『ルードヴィッヒ・B』、『グリンゴ』といった作品で、これらが病気のさなかに連載されていました。
残念ながらこれらの未完となってしまいましたが、ここまで漫画に人生をかけていたのは本当にすごいことです。
手がけたジャンルがありえないほど多い
手塚治虫は、様々な作品を手がけていますよね。
鉄腕アトム、ブラック・ジャック、火の鳥、どろろ、奇子などなど、数え切れないほどに漫画を描いています。
普通の漫画家は、数もそうですがここまで幅広いジャンルの作品を描けないでしょう。
恋愛ものが得意な漫画家はそれを中心に描きますし、バトルものの作家ならそのジャンルのものが多くなりがちです。
手塚治虫は古今東西のあらゆるジャンルで漫画を描いています。
スポーツものなども手がけていますよ。
漫画家でありながら実は医師の免許も持っていた
実際に開業していたことはありませんが、手塚治虫は漫画家でありつつ医師免許も持っていました。これは有名な話ですね。
これだけ漫画に人生をかけていた素晴らしい漫画家でありながら医師の資格も持っていたとなると、もう天才としか言いようがないでしょう。