努力に勝る天才なしという言葉があります。
これは本当なのか違うのか、気になりますよね。
いくら努力していても天才には勝てない…と諦めていた人にとっては、これは強い心の支えとなるでしょう。
この記事では、努力にまさる天才なしの詳しい意味と、その言葉への肯定派と否定派の意見を解説します。
目次
努力に勝る天才なしとは、努力の大事さを説く言葉
努力に勝る天才なしとは、要するに努力することは最初から何も努力しなくてもなんでもこなせる天才に比べてとても素晴らしいものであるということです。
天才はたしかに素晴らしいものですが、本人が努力して上り詰めたものではありませんよね。
そのため、いくら才能があってうまくこなせるからと言ってそれほど素晴らしくはありません。
一方で始めはそれほどでもなかったところから毎日努力してようやく天才と同じ土俵に上がってくる秀才系の人は、それだけのし上がるために頑張ってきています。
同じうまさなら努力した人のほうが、苦しみも知っているため有利になりますよね。
努力に勝る天才なし。なかなか良い言葉です。
努力に勝る天才なしの肯定派の意見
ここからは、努力に勝る天才なしという言葉の是非について述べている様々な意見を解説します。
まずは肯定派の意見です。本当に努力に勝る天才はないのか不安な方はご覧ください。
努力した人は、天才に比べて指導力に長ける
スポーツでも勉強でも、努力して実力を高めていった人はどうすれば自分が成長できるのかを身をもって体験しています。
そのため、周りの人にどうすればいいのか聞かれたときに力になることができます。
天才は自分がなぜできるのかを努力型の人と比べて頭で理解できていない場合もあり、その傾向にあると人にどうすればうまくなるか聞かれても答えられません。
つまり努力した人は天才に比べて指導力に長けているため、同じ実力ならその部分ですぐれていて有利になります。
天才は周りが見えていない
天才は自分がどんどん先に進んでいくもので、周りが見えていない場合があります。
一方で努力型の人は周りが見えていて、一人でスタンドプレーばかりしません。
そういった意味でも、天才よりも努力型の人のほうが協調性があって有利です。
努力した人は天才に比べて、知識が多い
努力した人は、学業でもスポーツでも、天才に比べて知識が多いと考えられます。
なにしろ天才は言われたことがすぐこなせるので、知識をつけるよりもすぐに実践に行ってしまいます。
努力している人はどうすれば課題をクリアできるのか、常に知識を蓄えながら考えています。
そのため天才よりも知識があると考えられるのです。
努力した人はいざという時に強い
天才に比べて、努力している人は逆境に強いです。
元々平均程度だったところからのし上がってきているので、それまでに幾度となく挫折も経験しているためです。
天才の場合はピンチの経験が少なかったり、なんとなくで乗り越えてきてしまっていたりするので、自分が逆境に陥ったときにどうすれば復活できるのかがわからず、極端な場合はそのまま一生復活できない場合もあります。
努力した人は、いざという時に強いのです。
努力に勝る天才なしの否定派の意見
ここからは、努力に勝る天才なしを否定する、とにかく天才こそが最強であるという意見を解説します。
結局実力がある方が優れているので、天才の方がうまいなら天才のほうが有利
たしかに天才と努力者が同格ならば努力している人のほうが優れているかもしれないものの、結局実力がある方が勝ちなわけで、天才のほうがよりうまいなら天才であるほうが有利であるという考え方があります。
実力が上なら努力している人よりも天才の人の方が役に立つということですね。たしかにそれはそうでしょう。
努力に勝る天才なしとは基本的に努力している人のほうが天才よりも良いものであるということで、実力の差については考慮していない言葉ですが、実力まで考えるとたしかに強いものこそ全てです。
天才は同じことを時間をかけずにできるので優れている
天才は、努力している人と同じことを時間をかけずにすぐにできるようになっているものですよね。
言い換えれば努力している人は、時間をやたらに使っているため無駄が多いとも言えます。
つまり天才は時間を削減できていてすぐれていて、努力型は時間ばかりかかっていて結果的には劣っているという考え方です。
努力が素晴らしいと言っても、人間世界において最も貴重な時間を無駄にしているのに尊さなんてないという考え方がこちらですね。
天才だって努力者と同じく苦労している
天才は努力せずになんでもこなせると思いがち。しかし実際はそうとは限りません。
天才だって練習をしなければ、勉強もスポーツもこなせません。
そのため、天才だって努力している人と同じくらい裏では頑張っているということで、努力に勝る天才なしは否定されることがあります。