虚無 ―きょむ― とは、何事もなくむなしい様のことをいい、この世に存在するすべてのものに価値や意味を見いだせないことを表します
生活の何気ないワンシーンの中で強く虚無感にさいなまれることはあるでしょうか。
目の前の景色が一瞬にして色を失い、楽しかったことが楽しかったと思えず、つらかったことも辛いと言えない、そんな感情の波がまとわりついて離れないとき、心は弱って傷つきやすくなります。
虚無は目をそらして放置しておくと、またいつでも襲ってきます。
なぜなのか、どうしたらいいのか、少しひも解くことにしましょう。
見失うのは〝自分の存在意義〟
ふとした瞬間に突然、急速に迫ってくる虚無は意識して対処できることではありません。
そもそも対処できる人は虚無感に向き合うなどという経験がないものだと思えばよいでしょう。
虚無感に対処できる人は、虚無の梅方を自然と知っており、無意識に虚無でない時間を守ることができるからです。
大切なものが見えなくなったとき、虚無感はいつでも鮮明な黒で心を堤体を蝕みます。
あなたの存在の意味は。
あなたの生きる価値は。
あなたが居ていい理由は。
そんな答えの出ない問いばかりを繰り返し繰り返し渦巻かせ、虚無感を肥大させてゆきます。
シビアな現実に打ちのめされたときや、どうしようもない現状に行き詰ったとき、自分の力があまりにも無力で太刀打ちできそうもなかったときなど虚無は途端に攻撃してきます。
虚無感を感じる人に、それを無視せよ、というのは難しいことです。
無視できたのなら虚無感など最初から感じないのですから、厄介なものです。
虚無と戦え、逃げ出せばいつまでも追いかけてくる
虚無感は一度逃げてしまうとどこまでも、いつまでも追いかけてきます。
よしんば一時的に忘れられたとしても、ちょっとしたアクションに揺さぶり起こされ、さらに強力になって襲ってきます。
対処法は一つ、戦って従えることです。
虚無は一度認識したら目を背けてはいけません。
虚無感を感じる原因は自分の世界に存在します。
何がつらいのか、何が耐えられないのか、辛くても痛くても見つけ出してケアする必要があります。
多くは目の前に原因は存在しており近すぎるために見えていないことがありますので、順序立てた俯瞰で自分自身を見るというなかなかに難しい対応が求められますが、痛みを無視して虚無感を背負ったまま動き続けるよりは簡単のはずです。
戦うことは勇気のいることです。
逃げ出すのは簡単でしょうが、いつまでもいつまでも追ってくるものの対応をしなくてはいけないのは更に辛く怖いことです。
なので、自分の中の虚無感と向き合い、一つ一つ感情をほどいてゆくのが適切な対応の仕方であるともいえます。
ゆっくりゆっくりで大丈夫です。
不安は常にだれでも感じることで決して恥ずかしいことではありません。
誰かに話して、甘えてみましょう。
悲しいときは泣いていいし、つらいときはめげていい。
当たり前の人間らしい反応をしてよいのです。
感情は感情の通り掃き出し、気持ちを整理するために言葉に出して、紙に書き出して自分の周りを整頓するのも効果的ですよ。