○○が好きだ!と言うことがありますよね。
その対象は人かもしれませんし、ものかもしれません。
しかし気軽に好きだ好きだと言っていても、好きには度合いがあるものですよね。
この記事では、本当の好きとは一体何か、いくつかの考え方について解説していきます。
自分の好きなものは本当に心の底から好きなのか不安になっている方は、参考にしてみてください。
目次
(人でも物でも)飽きがこない
本当に好きなものは、飽きがこないですよね。
趣味なら何度しても飽きませんし、音楽なら何度聴いても心から「良いものだ」と思えるものです。
人の場合でも同様で、いつもともに過ごしていても全く問題ないのが本当に好きな人物となるでしょう。
友達としても、恋人としてもそうです。
仮に一度飽きたとしても、少し時間を置いたらまたハマれるくらい好きならそれは本当にその対象が好きであることに繋がっていますね。
自分にとってこんなものが何かあるでしょうか。あるなら、それはとても良いことですよ。
それを得るためにならいかなる苦労もする
本当に好きなものを得るためなら、悪魔に魂を売るのも厭わない場合があるでしょう。
既に持っているものの場合は、たとえ何があってもこれだけは手放せないものこそが、本当に好きなものです。
好きなものがもし自分から離れていってしまったら、自分は自分で無くなってしまう。
それが本当に好きなものですね。
自分の人生と深く結びついていて、それなしでの人生なんてとても考えられないわけです。
そんなものがあると、人間らしいですね。
欠点さえも愛している
本当に好きなものは、むしろバカにされてもそれほど怒らない人がいますね。
それはなぜかと言うと、欠点を知り尽くした上で愛しているからです。
欠点を受け入れられるくらいまでいくと、対象が本当に好きであると感じさせられますね。
生半可な好きなら欠点を受け入れられていないため、もしそれを周りに指摘されるとイライラしてしまうでしょう。
対象の全てを愛している本当の「好き」は、もはや一般の人には理解されないレベルの高みに到達しているのです。
周りの人からすると引いてしまうかもしれませんが、本人にとって満足なら問題ないでしょう。
聞かれたら1の質問に対して100で答えられる、あるいは全く答えられない
人によって傾向は異なるのですが、もし本当に好きなものについて何か聞かれたら、質問の量が1だとすると100で返せる人がいますね。
好きなものに対しては知識もとにかく豊富になるものです。
そのためいくらでも関連づけて説明ができるため、いつまで経っても話が終わらずに困ってしまう人がいるでしょう。
結果相手はこれからその世界に入っていこうとしていたものの、あまりにも深く難しいものなのではないかと思い去っていってしまうことがありますね。
これは避けたいものです。
反対に、聞かれた質問について全く答えられない場合もありますね。
それでは好きじゃないんじゃないの?と思ってしまうかもしれませんが、そうではないんです。
好きすぎるとあまり多くを他者に語らないことこそが至高になったり、もはや何もかも受け入れているので人に対して説明ができない境地に達していたりすることもあります。
どちらの場合でも間違いなく本当に好きだからこその高みですね。
ただより玄人らしいのは、何も話せなくなる方でしょう。
達人は多くを語らず、ただ実行するのみです。
本当に好きなことに対してストイックになっていて、もはや賛同者を探す必要も無くなっているとなるとかなり好きなんだな、と感じさせられるものです。
かえってその世界にも興味が湧く人がいますね。
本当に好きなら好きだと素直に言える
本当に好きなものは、むしろ好きだと周りに公言できるのではないでしょうか。
好きだと言える人と言えない人はグレードによって分かれています。
例えばいわゆるにわかの人、まだその世界に入ったばかりの人は、普通に「好きです」と公言できますね。
続いてその世界にどっぷり浸かった人は、むしろ「好き」とはっきり言えなくなります。
自分よりも上級の同志をたくさん知っているからですね。
しかしそれさえも乗り越えるくらい対象が好きになったら、むしろ「好きだ」と言える状態に回帰するものです。
本当に好きなものに対しては、余計な感情はなく素直にその愛を公言できますよ。
あなたがハマっている様々なもの・ことなどに対して、どのくらい好きだと心から言えるでしょうか。
それが制限されることに対して強い反発をする
心から好きなものが何らかの問題によって制限されてしまうと、強い怒りを覚えますよね。
そこから行動に起こしたとしてもそうでなかったとしても、好きなものは制限されるとむしろ燃えてくるものです。
いつの時代も人は、自分が心から好きなものが脅かされると怒ります。
危機に対して強い怒りを抱ける対象は、本当に好きでしょう。