日本は学歴社会。
幼い頃からよく大人からきかされ、社会に出てからも学歴が人を隔てるのを痛烈に感じる場面があった人は少なくないのではないでしょうか。
よい大学をでて、高学歴で良い会社に就職すればエリート街道まっしら、人生の勝ち組!と言えるほど一概に安定した社会ではありませんが、高学歴でいてマイナスな事は少ないでしょう。
では一般に言われる高学歴とは何を指し、意味するのでしょうか。
詳しく調べてみましょう。
学歴と偏差値の関係性
日本教育をうけていたものなら高偏差値の学校へ通い、卒業することで高学歴を得るという漠然とした認識が備わっています。
では、そもそもこの偏差値とはどういった数字なのかといえば、学力検査から全体の平均点と予め損じする標準偏差値により正規化した数値のことと説明されます。
簡単に言ってしまえば平均を割り出すよりも、すこし複雑化した、個々人に対応した数値を出し、偏差値として視認できるようにするといったものです。
大きく大きくザックリと説明してしまえば50を平均としそこから高くなれば高くなるほど高偏差値ということです。
偏差値が50より上は平均以上、60、70が高偏差値であることは理解できた。
ではどれくらい良い成績なのかですが、偏差値はほぼ順位に置き換えて考えることも可能な数値です。
(もちろん全く置き換えができない場合もあります)
成績は人と比較して良し悪しをはかるものですので、たとえば100人のうちで偏差値50をとったなら50番目の順位に相当し、中間の成績であることが分かります。
平均が70であるなら上位2人として成績が良い部類だと認識することが出来ます。
高学歴はどこから?基準の大学はどこなの?
少し古典的なイメージかもしれませんが、国内で最も難関、もっとも頭のいい人間の行く大学を一般的に論じるとき、東京大学の名前が真っ先に挙がるのではないでしょうか。
東京大学、といっても学部によって偏差値は変動してきますが、中でも最も難しいとされる理Ⅲは大体の偏差値が79とされます。
大体と銘打つのは偏差値は平均を割り出すため母集団によって変動するからです。
それであっても平均の50より20以上も上の数値なのですから高偏差値、高学歴は言うまでもありません。
では、いったいどれくらい上からを高偏差値で高学歴というのでしょうか。
一般的には旧帝大学群、東京大学を筆頭とし、京都大学、大阪大学、北海道大学や、東北大学などは誇れるほどの名門難関大学とされます。
ネット上ではMARCH、明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学の私立大学を勉強すれば誰でも入れる低学歴と嘲る風潮がありますが、これらは十二分に高学歴を名乗れる大学になります。
また極論を言えば、数値よりも「高学歴として認知度の高い」大学であることが条件として挙げられる場合もあります。
どんなに疎い人でも東京大学卒です、と自己紹介した人を低学歴だな、とは思いません。
そういった世間体から高学歴の基準を定める場合もあります。
特に学歴や数字に頓着しない人は名前を判断基準として定めますので、そういった方面から考えてみるのもありでしょう。
どれくらいの人間が高学歴なのか
偏差値を基準として考えれば高学歴の50を平均としてそれよりも上位を高学歴として定めるなら、まずは全体の半分以上が低学歴に分類されます。
残りが必然的に高学歴となります。
ただ、「高学歴」というのはこれを指すことはあまりありません。
やはり東大や京大、マーチの人を指すことが多いでしょう。
この考えで行きますと、例えば東京大学理Ⅲは偏差値79、おおよそ80となるわけですから、この数値から算出すれば全体の0.1%程度が高学歴と認識されます。
MARCHは最大で偏差値70程度となりますから、それでも全体の2%程度だけが高学歴と認められるわけです。
そして、2%が高学歴とするなら、東京の人口をもとに考えると人口は1300万人(2015年1月)なので、およそ26万人が高学歴ということになります。
意外と絶対数としては多いですよね。
でも割合としては2%なので、やはり高学歴の人は少ないとも言えるでしょう。
高学歴のメリット・デメリット
高学歴のメリットはいわずと知れた社会的信頼の強化が最大にして最高のメリットといえます。
例えば東京大学理Ⅲ卒です、と面接時に出身校を述べられたらそれだけでこの人はとても頭の良い人で、努力して来た人なのだと瞬時に分かります。
ですので、就職先に困ることはなく、理想を実現することが容易です。
将来的な収入の暗転にも繋がりますし望むなら望むだけの未来を実現する最大の武器として学歴を使うことが出来ます。
デメリットをあげるならば、それはその大学に入るまでの多大な時間、学力をつけるために費やす時間が必要だと言うこと。
同じく勉強にかけられるだけの膨大な資金が必要となってくると言うことでしょう。
勉強は一部の天才でなければ時間も労力もお金も消費してゆきます。
遊びたい盛りの若いうちに机に向かってただ一つの目標のため集中するのは大変に難しいことです。
なので、その難しい経験を得て得るものが自分にとって最大限の価値になるのか見極めることが大切になってきます。
この時代、高学歴が必ずしも人生を勝利に導くとは限りません。
いえ、確かに高学歴であることはそれだけで勝利に近い駒をそろえたことになりますし、決してマイナスには作用しないでしょう。
ですが、あなたに勉強以上にやりたいことがあるのであればその限りではないのです。
今一度、自分にとって「高学歴」は必要なのか、必要だったのか考えてみて、自分なりに振り返ってみるのも悪くは無いでしょう。